Nuestra América
1891年1月、ニューヨークで書かれ、ニューヨークとメキシコ市の新聞に載った論説である。書いたのはキューバ人のホセ・マルティ。当時のキューバはまだスペインの植民地で、彼は十六歳で政治犯として石切場に送られ、以後の生涯の大半を国外で過ごした亡命者だった。この文章を書いている時点で、彼はキューバ独立戦争の準備を進めている最中である。四年後、彼はその戦争の戦場で死ぬ。
この文章には、名指しされていない相手が二ついる。一つは、スペイン語圏アメリカの有識者層——ヨーロッパで学び、ヨーロッパの書物と制度で自分の国を統治しようとする人々である。もう一つは、北の隣国だ。本篇の直前、1889年10月から1890年4月にかけてワシントンで第一回米州国際会議が開かれ、続いて1891年の初めには米州通貨委員会が開かれていた。合衆国が南北のアメリカを一つの通商圏としてまとめようとするその動きを、マルティはウルグアイの領事として、また新聞の通信員として間近で見ている。文章の後半に「北のアメリカ」「この大陸の金髪の民」が現れるのは、その場所からである。ただし本文は会議の名も年号も出さない。読者がそれを知っている前提で書かれている。
形は新聞論説だが、論証は定義と推論では進まない。像で進む。七里の靴を履いた巨人、眠ったまま世界を呑む彗星、絹の鞘の合わない鉈、ビロードの爪で戻ってくる虎、練り粉に突っ込んだ両手。一つの段落のなかで主語が変わり、比喩に比喩が接がれる。最初に読んで像が結ばないところは、たいてい後でもう一度、別の姿で戻ってくる。虎は中ほどで一度現れ、終わり近くで「内の虎」と「外の虎」になって帰ってくる。主張だけを取り出そうとせず、繰り返される像のほうを追うと読みやすい。
中心にあるのは統治の話である。国は、その国が何でできているかを知った者にしか統治できない——「知ることは解くことである」。ここからマルティは、当時のスペイン語圏で広く通用していた「文明と野蛮」という枠組みを正面から退ける。戦いは文明と野蛮のあいだにあるのではない、偽りの博識と自然とのあいだにあるのだ、と。もう一つ、読む前に断っておきたい。この文章には落ち着きの悪い場所がある。終わり近くで彼は「人種の憎しみなど無い、人種というものが無いからだ」と書くが、同じ文章のなかに「金髪の民」「物言わぬインディオ」「雄々しい民」という語彙が並んでいる。矛盾として切り捨てず、彼が誰に向かって、誰について語っているのかを見分けながら読むと、この文章のいちばん争われてきた場所が見えてくる。
スペイン語の単語がそのまま思想の道具になっている箇所が多く、訳語の選び方で文章の姿が変わる。以下は本文で採った訳語と、その選択で捨てたものの覚え書きである。読みは現代スペイン語のおおよその音を仮名で示した。
| 原語 | 読み | 訳と意味 |
| nuestra América | ヌエストラ・アメリカ | われらのアメリカ。本文は「北のアメリカ」と区別してこの語を使う。「ラテンアメリカ」と訳すと、北も南も同じ一つのアメリカだという本文の構図が消えるので、字義どおりにした。 |
| hombre natural | オンブレ・ナトゥラル | 自然の人間。「野生の人間」「土地の人」とも訳せる。本文では「人工的な学者」の対語で、書物によらず土地から出てきた人間を指す。ルソーに同じ語があるが、本文が指すのは理論上の原初状態ではなく、現に統治の場にいる人間である。 |
| letrado | レトラード | 文字の人、学者。植民地以来、法と文書で統治してきた層を指す語。「知識人」と訳すと制度上の位置が落ちるので「学者」とした。本文では「人工的な学者」として現れる。 |
| criollo | クリオーリョ | 新大陸生まれのスペイン系の人。本文では「異国風のクリオーリョ」として、土着のメスティーソに敗れる側に置かれる。「白人」と訳さないのは、ここで問われているのが血統ではなく、異国風か土着かという構えだからである。 |
| mestizo | メスティーソ | 混血の人。本文では人の分類であると同時に、「われらの混血のアメリカ」というように大陸そのものの形容にもなる。人を指す箇所は片仮名、大陸を指す箇所は「混血の」と訳し分けた。 |
| civilización y barbarie | シビリサシオン・イ・バルバリエ | 文明と野蛮。本文が「そのあいだに戦いがあるのではない」と名指しで退ける対句。当時のスペイン語圏で共有されていた枠組みで、サルミエント『ファクンド』(1845)がその代表である。 |
| pueblo | プエブロ | 民、国民、民衆。一語で「一国の人民」から「村里」までを覆う。本文では複数形が主権を持つ集団を指すことが多く、文脈に応じて「民」「諸国民」「民衆」と訳し分けた。冒頭の「村」はこれとは別の語(aldea)である。 |
| raza | ラサ | 人種、種族。「インディオの種族」では血統によるまとまりを、「人種というものが無い」では生物学的な分類を指す。同じ語の二つの用法が同居しているので、前者を「種族」、後者を「人種」とした。 |
| casta | カスタ | 植民地期に肌の色と出自で人を格づけした身分区分。「階級」でも「人種」でもないので訳語を当てず片仮名にした。本文の「分裂した都市のカスタたち」は、独立後もこの区分が生き残っていることを指している。 |
| decoro | デコロ | 体面、矜持。「品位」「威信」とも訳せるが、他者の目の前で保たれる自尊という含みを残すため「体面」とした。北の隣国に手綱をかけるものとして本文の終盤に置かれる。 |
| gamonal | ガモナル | 地方の顔役。土地と人を握って政治を左右する有力者を指すアンデス地方の語。「大地主」と訳したが、経済規模より、土地に根を張った支配のありようを指す言葉である。 |
| viril | ビリル | 雄々しい。語根は「男」。「男らしい」と訳すと現代語では嘲りに傾き、「勇敢な」と訳すと語根の男性性が消える。中間をとって「雄々しい」とした。この語彙の含みは、あとで問題になる。 |
| sietemesino | シエテメシーノ | 七月児。七か月で生まれた子、転じて未熟者、腑抜け。「未熟者」と訳すと、直後に「七月の男」と言い直す本文の運びが消えるので、字義を残した。 |
Cree el aldeano vanidoso que el mundo entero es su aldea, y con tal que él quede de alcalde, o le mortifique al rival que le quitó la novia, o le crezcan en la alcancía los ahorros, ya da por bueno el orden universal, sin saber de los gigantes que llevan siete leguas en las botas y le pueden poner la bota encima, ni de la pelea de los cometas en el Cielo, que van por el aire dormidos engullendo mundos. Lo que quede de aldea en América ha de despertar. Estos tiempos no son para acostarse con el pañuelo a la cabeza, sino con las armas de almohada, como los varones de Juan de Castellanos: las armas del juicio, que vencen a las otras. Trincheras de ideas valen más que trincheras de piedra.
うぬぼれた村人は、世界のすべてが自分の村だと思い込んでいる。そして、自分が村長の座に居続けさえすれば、あるいは恋人を奪った恋敵を悔しがらせさえすれば、あるいは貯金箱のなかの蓄えが増えさえすれば、それでもう宇宙の秩序をよしとしてしまう——七里の靴を履いた巨人たちがいて、その長靴を自分の上に載せることもできるのを知らず、天における彗星たちの争いも知らずに。彗星は眠ったまま空をゆき、いくつもの世界を呑み込んでゆく。アメリカに村として残っているものは、目を覚まさねばならない。今という時代は、頭に布を巻いて寝る時代ではなく、フアン・デ・カステリャーノスの男たちのように、武器を枕にして寝る時代である——判断力という武器、他のどの武器にも勝つ武器を枕にして。理念の塹壕は、石の塹壕にまさる。
No hay proa que taje una nube de ideas. Una idea enérgica, flameada a tiempo ante el mundo, para, como la bandera mística del juicio final, a un escuadrón de acorazados. Los pueblos que no se conocen han de darse prisa para conocerse, como quienes van a pelear juntos. Los que se enseñan los puños, como hermanos celosos, que quieren los dos la misma tierra, o el de casa chica, que le tiene envidia al de casa mejor, han de encajar, de modo que sean una, las dos manos. Los que, al amparo de una tradición criminal, cercenaron, con el sable tinto en la sangre de sus mismas venas, la tierra del hermano vencido, del hermano castigado más allá de sus culpas, si no quieren que les llame el pueblo ladrones, devuélvanle sus tierras al hermano. Las deudas del honor no las cobra el honrado en dinero, a tanto por la bofetada. Ya no podemos ser el pueblo de hojas, que vive en el aire, con la copa cargada de flor, restallando o zumbando, según la acaricie el capricho de la luz, o la tundan y talen las tempestades: ¡los árboles se han de poner en fila, para que no pase el gigante de las siete leguas! Es la hora del recuento, y de la marcha unida, y hemos de andar en cuadro apretado, como la plata en las raíces de los Andes.
理念の雲を切り裂く舳先はない。力ある一つの理念は、時を得て世界の前に翻されるなら、最後の審判の神秘の旗のように、装甲艦の一艦隊を止める。互いを知らない諸国民は、これから共に戦おうとする者どうしのように、急いで知り合わねばならない。互いに拳を見せ合っている者たち——同じ土地を二人ともほしがる嫉妬深い兄弟のように、あるいは、より立派な家に住む者をねたむ小さな家の住人のように、そうしている者たち——は、二つの手が一つになるように、組み合わさねばならない。犯罪的な伝統に守られて、自分自身の血管の血に染まったサーベルで、打ち負かされた兄弟の、その罪の重さを超えて罰せられた兄弟の土地を切り取った者たちは、民衆から泥棒と呼ばれたくないのなら、その土地を兄弟に返すがよい。名誉の負債を、名誉を知る者は金では取り立てない、平手打ち一発いくらという勘定では。もはやわれわれは葉の民ではありえない——空中に生き、梢を花で満たし、光の気まぐれに撫でられればぱちぱちと鳴りざわめき、嵐に打たれれば薙ぎ倒される、あの葉の民では。木々は列をなして並ばねばならない、七里の巨人を通さぬために! 今は数え上げの時であり、隊伍を組んで進む時である。われわれは、アンデスの根を走る銀のように、密な方陣を組んで歩まねばならない。
A los sietemesinos sólo les faltará el valor. Los que no tienen fe en su tierra son hombres de siete meses. Porque les falta el valor a ellos, se lo niegan a los demás. No les alcanza al árbol difícil el brazo canijo, el brazo de uñas pintadas y pulsera, el brazo de Madrid o de París, y dicen que no se puede alcanzar el árbol. Hay que cargar los barcos de esos insectos dañinos, que le roen el hueso a la patria que los nutre. Si son parisienses o madrileños, vayan al Prado, de faroles, o vayan a Tortoni, de sorbetes. ¡Estos hijos de carpintero, que se avergüenzan de que su padre sea carpintero! ¡Estos nacidos en América, que se avergüenzan, porque llevan delantal indio, de la madre que los crió, y reniegan, ¡bribones!, de la madre enferma, y la dejan sola en el lecho de las enfermedades! Pues, ¿quién es el hombre? ¿el que se queda con la madre, a curarle la enfermedad, o el que la pone a trabajar donde no la vean, y vive de su sustento en las tierras podridas, con el gusano de corbata, maldiciendo del seno que lo cargó, paseando el letrero de traidor en la espalda de la casaca de papel? ¡Estos hijos de nuestra América, que ha de salvarse con sus indios, y va de menos a más; estos desertores que piden fusil en los ejércitos de la América del Norte, que ahoga en sangre a sus indios, y va de más a menos! ¡Estos delicados, que son hombres y no quieren hacer el trabajo de hombres!
七月児たちに欠けているのは、勇気だけということになろう。自分の土地に信を持たない者は、七月の男である。彼ら自身に勇気が欠けているから、彼らは他人にも勇気を認めない。難しい木にはひよわな腕は届かない——爪を染め腕輪をはめた腕、マドリードの腕、パリの腕は届かない——、そこで彼らは、あの木には届きようがないのだと言う。あの有害な虫どもは、船に積み込んでしまわねばならない。虫どもは、自分を養ってくれる祖国の骨を齧るのだから。パリ人だ、マドリード人だというのなら、プラードへ行って街灯よろしく立っているがいい、トルトーニへ行って氷菓をなめているがいい。大工の子でありながら、父が大工であることを恥じるこの者たち! アメリカに生まれながら、自分を育てた母がインディオの前掛けをしているというので母を恥じ、——ならず者め——病んだ母を否認し、病の床に母を独り置き去りにするこの者たち! では、男とは誰か。母のもとに留まってその病を癒す者か、それとも、人目につかぬところへ母を出して働かせ、その稼ぎで腐った土地に暮らし、蛆虫をネクタイにして、自分を宿した胎を呪い、紙の上着の背に裏切り者の札を負って歩きまわる者か。われらのアメリカ——そのインディオたちとともにこそ救われるはずの、少から多へと向かうアメリカ——の子でありながら、自らのインディオを血に溺れさせ、多から少へと向かう北のアメリカの軍隊で銃を求めるこの脱走兵たち! 男でありながら男の仕事をしようとしない、このやわな者たち!
Pues el Washington que les hizo esta tierra ¿se fue a vivir con los ingleses, a vivir con los ingleses en los años en que los veía venir contra su tierra propia? ¡Estos "increíbles" del honor, que lo arrastran por el suelo extranjero, como los increíbles de la Revolución francesa, danzando y relamiéndose, arrastraban las erres!
では、彼らのためにこの土地を作ってやったワシントンは、イギリス人たちと暮らしに行っただろうか。自分自身の土地に向かって彼らが攻めのぼって来るのを目にしていた年月に、イギリス人たちと暮らしに行っただろうか。名誉の「信じがたい者たち」、名誉を異国の地面に引きずり回すこの連中! ちょうどフランス革命のあの信じがたい者たちが、踊りながら、舌なめずりをしながら、rの音を引きずっていたのと同じに!
Ni ¿en qué patria puede tener un hombre más orgullo que en nuestras repúblicas dolorosas de América, levantadas entre las masas mudas de indios, al ruido de pelea del libro con el cirial, sobre los brazos sangrientos de un centenar de apóstoles? De factores tan descompuestos, jamás, en menos tiempo histórico, se han creado naciones tan adelantadas y compactas. Cree el soberbio que la tierra fue hecha para servirle de pedestal, porque tiene la pluma fácil o la palabra de colores, y acusa de incapaz e irremediable a su república nativa, porque no le dan sus selvas nuevas modo continuo de ir por el mundo de gamonal famoso, guiando jacas de Persia y derramando champaña. La incapacidad no está en el país naciente, que pide formas que se le acomoden y grandeza útil, sino en los que quieren regir pueblos originales, de composición singular y violenta, con leyes heredadas de cuatro siglos de práctica libre en los Estados Unidos, de diecinueve siglos de monarquía en Francia.
それに、人がわれらのアメリカの痛ましき諸共和国におけるより大きな誇りを持ちうる祖国が、いったいどこにあるだろうか。インディオたちの物言わぬ群れのただなかに打ち立てられ、書物と燭台との争う物音のなかに、百人ばかりの使徒たちの血まみれの腕の上に築かれた、この諸共和国にまさる祖国が。これほど分解しきった要素から、これほど進んだ、これほど緊密な国民が創られたことは、これより短い歴史的時間のうちには、かつて一度もない。高慢な者は、筆が達者だとか言葉に彩りがあるとかいうだけで、大地は自分の台座となるために作られたのだと思い込む。そして生まれ故郷の共和国を、無能で救いがたいと弾劾する——その新しい密林が、名うての大地主として世界を渡り歩き、ペルシアの小馬を御し、シャンパンを注ぎこぼす暮らしの手立てを、たえまなく与えてくれるわけではないからである。無能は、生まれつつある国の側にあるのではない。その国は、自分に見合った形式と、役に立つ偉大さとを求めているのだ。無能は、独特で激烈な組成をもつ独自の諸民族を、合衆国における四世紀の自由な実践から、フランスにおける十九世紀の君主制から受け継いだ法によって統べようとする者たちの側にある。
Con un decreto de Hamilton no se le para la pechada al potro del llanero. Con una frase de Sieyés no se desestanca la sangre cuajada de la raza india. A lo que es, allí donde se gobierna, hay que atender para gobernar bien; y el buen gobernante en América no es el que sabe cómo se gobierna el alemán o el francés, sino el que sabe con que elementos está hecho su país, y cómo puede ir guiándolos en junto, para llegar, por métodos e instituciones nacidas del país mismo, a aquel estado apetecible donde cada hombre se conoce y ejerce, y disfrutan todos de la abundancia que la naturaleza puso para todos en el pueblo que fecundan con su trabajo y defienden con sus vidas. El gobierno ha de nacer del país. El espíritu del gobierno ha de ser el del país. La forma del gobierno ha de avenirse a la constitución propia del país. El gobierno no es más que el equilibrio de los elementos naturales del país.
ハミルトンの布告一枚では、リャネロの仔馬の体当たりは止められない。シエイエスの一句では、インディオの種族の凝り固まった血は流れを取り戻さない。よく統治するためには、統治のおこなわれるその場所で、現にあるものに心を向けなければならない。そしてアメリカにおける良き統治者とは、ドイツ人やフランス人がどう統治されるかを知っている者ではなく、自分の国がどんな要素でできているかを知り、それらをひとまとめにどう導いてゆけるかを知っている者である。国そのものから生まれた方法と制度によって、あの望ましい状態に到達するために——各人がおのれを知り、おのれを行使し、そして万人が、自然が万人のために置いた豊かさを享受する状態に。その豊かさは、人々が自らの労働によって稔らせ、自らの命によって守る、その郷土のうちに置かれている。統治は国から生まれなければならない。統治の精神は国の精神でなければならない。統治の形式は、国そのものの体質に適合しなければならない。統治とは、国の自然な諸要素の均衡にほかならない。
Por eso el libro importado ha sido vencido en América por el hombre natural. Los hombres naturales han vencido a los letrados artificiales. El mestizo autóctono ha vencido al criollo exótico. No hay batalla entre la civilización y la barbarie, sino entre la falsa erudición y la naturaleza. El hombre natural es bueno, y acata y premia la inteligencia superior, mientras esta no se vale de su sumisión para dañarle, o le ofende prescindiendo de él, que es cosa que no perdona el hombre natural, dispuesto a recobrar por la fuerza el respeto de quien le hiere la susceptibilidad o le perjudica el interés. Por esta conformidad con los elementos naturales desdeñados han subido los tiranos de América al poder: y han caído, en cuanto les hicieron traición. Las repúblicas han purgado en las tiranías su incapacidad para conocer los elementos verdaderos del país, derivar de ellos la forma de gobierno y gobernar con ellos. Gobernante, en un pueblo nuevo, quiere decir creador.
だからこそ、輸入された書物はアメリカにおいて自然の人間に打ち負かされてきた。自然の人間たちは、人工的な学者たちを打ち負かした。土着のメスティーソは、異国風のクリオーリョを打ち負かした。文明と野蛮のあいだに戦いがあるのではない。あるのは偽りの博識と自然とのあいだの戦いである。自然の人間は善良であり、より高い知性に従い、これに報いる——ただしその知性が、彼の従順につけこんで彼を害することがなく、また彼を抜きにして事を運ぶことで彼を侮辱することがない、そのかぎりにおいてである。この侮辱こそ自然の人間の赦さぬものであって、彼は、自分の感じやすさを傷つける者、自分の利害を損なう者から、力ずくで敬意を取り返そうと身構えている。蔑ろにされてきた自然の諸要素へのこの適合によってこそ、アメリカの暴君たちは権力へ登った。そして、その〔諸要素への〕裏切りをおこなうやいなや、落ちた。諸共和国は、国の真の諸要素を知り、そこから統治の形式を導き出し、その諸要素とともに統治する、その能力の欠如を、暴政において償ってきた。新しい民において統治者とは、創造者を意味する。
En pueblos compuestos de elementos cultos e incultos, los incultos gobernarán, por su hábito de agredir y resolver las dudas con su mano, allí donde los cultos no aprendan el arte del gobierno. La masa inculta es perezosa, y tímida en las cosas de la inteligencia, y quiere que la gobiernen bien; pero si el gobierno le lastima, se lo sacude y gobierna ella. ¿Cómo han de salir de las universidades los gobernantes, si no hay universidad en América donde se enseñe lo rudimentario del arte del gobierno, que es el análisis de los elementos peculiares de los pueblos de América? A adivinar salen los jóvenes al mundo, con antiparras yanquis o francesas, y aspiran a dirigir un pueblo que no conocen. En la carrera de la política habría de negarse la entrada a los que desconocen los rudimentos de la política. El premio de los certámenes no ha de ser para la mejor oda, sino para el mejor estudio de los factores del país en que se vive. En el periódico, en la cátedra, en la academia, debe llevarse adelante el estudio de los factores reales del país. Conocerlos basta, sin vendas ni ambages; porque el que pone de lado, por voluntad u olvido, una parte de la verdad, cae a la larga por la verdad que le faltó, que crece en la negligencia, y derriba lo que se levanta sin ella.
教養ある要素と教養なき要素とからなる民においては、教養なき者たちが統治するだろう——攻撃し、疑わしいことは自分の手で片づける、その習慣によって——教養ある者たちが統治の術を学ばないところでは。教養なき大衆は怠惰であり、知性にかかわる事柄には臆病であり、よく統治されることを望む。しかし統治が自分を痛めつけるなら、それを振り落として、自分で統治する。統治者が大学から出てくるなどということが、どうしてありえようか。アメリカには、統治の術の初歩を教える大学がどこにもないというのに。その初歩とは、アメリカ諸国民に固有の諸要素の分析にほかならない。若者たちは当て推量をしに世へ出てゆく、ヤンキーの、あるいはフランスの眼鏡をかけて。そして、自分の知らない民を導こうと志す。政治という道においては、政治の初歩を知らぬ者には入り口を拒むべきであろう。懸賞の賞は、最良の頌歌にではなく、自分が現に生きている国の諸因子についての最良の研究に与えられねばならない。新聞で、講壇で、学士院で、国の現実の諸因子の研究が推し進められねばならない。それらを知ること、それで足りる。目隠しもせず、遠回しにも言わずに。というのも、意図してであれ忘却によってであれ、真実の一部を脇へ押しやる者は、長い目で見れば、自分に欠けていたその真実によって倒れるからだ。その真実は、なおざりにされるなかで育ち、それを欠いたまま建てられるものを打ち倒す。
Resolver el problema después de conocer sus elementos, es más fácil que resolver el problema sin conocerlos. Viene el hombre natural, indignado y fuerte, y derriba la justicia acumulada de los libros, porque no se la administra en acuerdo con las necesidades patentes del país. Conocer es resolver. Conocer el país, y gobernarlo conforme al conocimiento, es el único modo de librarlo de tiranías. La universidad europea ha de ceder a la universidad americana. La historia de América, de los incas a acá, ha de enseñarse al dedillo, aunque no se enseñe la de los arcontes de Grecia. Nuestra Grecia es preferible a la Grecia que no es nuestra. Nos es más necesaria. Los políticos nacionales han de reemplazar a los políticos exóticos. Injértese en nuestras repúblicas el mundo; pero el tronco ha de ser el de nuestras repúblicas. Y calle el pedante vencido; que no hay patria en que pueda tener el hombre más orgullo que en nuestras dolorosas repúblicas americanas.
問題の諸要素を知ったうえでその問題を解くほうが、それらを知らずに解くよりもやさしい。自然の人間がやって来る、憤り、力を帯びて。そして書物から積み上げられた正義を打ち倒す。その正義が、国の目に見えた必要に沿って施されていないからである。知ることは解くことである。国を知ること、そしてその知にしたがって国を統治すること、それが国を暴政から解き放つ唯一の道である。ヨーロッパの大学は、アメリカの大学に席を譲らねばならない。アメリカの歴史は、インカからこのかたを、隅から隅まで教えられねばならない——たとえギリシアのアルコンたちの歴史が教えられないとしても。われらのギリシアは、われらのものでないギリシアに優る。われらにとって、そのほうがより必要なのだ。国民の政治家が、異国風の政治家に取って代わらねばならない。われらの共和国に世界を接ぎ木せよ。だが幹は、われらの共和国の幹でなければならない。そして、敗れた衒学者は黙るがよい。人がこれ以上の誇りを持ちうる祖国は、われらの痛みに満ちたアメリカの諸共和国をおいてほかにないのだから。
Con los pies en el rosario, la cabeza blanca y el cuerpo pinto de indio y criollo, vinimos, denodados, al mundo de las naciones. Con el estandarte de la Virgen salimos a la conquista de la libertad. Un cura, unos cuantos tenientes y una mujer alzan en México la república, en hombros de los indios. Un canónigo español, a la sombra de su capa, instruye en la libertad francesa a unos cuantos bachilleres magníficos, que ponen de jefe de Centro América contra España al general de España. Con los hábitos monárquicos, y el Sol por pecho, se echaron a levantar pueblos los venezolanos por el Norte y los argentinos por el Sur. Cuando los dos héroes chocaron, y el continente iba a temblar, uno, que no fue el menos grande, volvió riendas.
足は数珠にとられ、頭は白く、体はインディオとクリオーリョのまだら——そのなりで、われらは臆することなく、諸国民の世界へやって来た。聖母の旗印を掲げて、われらは自由を征服しに出た。一人の司祭、幾人かの中尉、そして一人の女が、メキシコで共和国を、インディオたちの肩の上に立ち上げる。一人のスペイン人参事会員が、自分の外套の陰で、幾人かのみごとな学士たちにフランス流の自由を教え込む。その学士たちは、スペインに抗する中央アメリカの首領に、スペインの将軍を据える。王制の衣をまとい、胸には太陽を掲げて、ベネズエラ人は北から、アルゼンチン人は南から、民を立ち上がらせにかかった。二人の英雄が衝突し、大陸が震えようとしたとき、一方が——それは小さいほうの英雄ではなかったが——手綱を返した。
Y como el heroísmo en la paz es más escaso, porque es menos glorioso, que el de la guerra; como al hombre le es más fácil morir con honra que pensar con orden; como gobernar con los sentimientos exaltados y unánimes es más hacedero que dirigir, después de la pelea, los pensamientos diversos, arrogantes, exóticos o ambiciosos; como los poderes arrollados en la arremetida épica zapaban, con la cautela felina de la especie y el peso de lo real, el edificio que había izado, en las comarcas burdas y singulares de nuestra América mestiza, en los pueblos de pierna desnuda y casaca de París, la bandera de los pueblos nutridos de savia gobernante en la práctica continua de la razón y de la libertad; como la constitución jerárquica de las colonias resistía la organización democrática de la República, o las capitales de corbatín dejaban en el zaguán al campo de bota de potro, o los redentores bibliógenos no entendieron que la revolución que triunfó con el alma de la tierra, desatada a la voz del salvador, con el alma de la tierra había de gobernar, y no contra ella ni sin ella, entró a padecer América, y padece, de la fatiga de acomodación entre los elementos discordantes y hostiles que heredó de un colonizador despótico y avieso, y las ideas y formas importadas que han venido retardando, por su falta de realidad local, el gobierno lógico.
そして、平和における英雄的行為は戦争のそれより乏しい——栄光が少ないからである——のだから。人にとっては、名誉をもって死ぬほうが、秩序立てて考えるよりもたやすいのだから。高ぶって一つになった感情で統治するほうが、戦いのあとに、多様で、傲慢で、異国風で、あるいは野心的な思想を舵取りするよりも、なしやすいのだから。叙事詩さながらの突撃に押し倒された〔旧い〕もろもろの権力が、その種にそなわった猫のような用心深さと、現実というものの重みとをもって、あの建物を掘り崩していたのだから——その建物とは、われらの混血のアメリカの、粗野で特異な地方に、素足にパリ仕立ての上着という民のただなかに、理性と自由の絶え間ない実践のなかで統治の樹液に養われた民の旗を、掲げてしまった建物である。植民地の階層的な構成が、共和国の民主的な組織に抵抗したのだから。あるいは、襟当て(コルバティン)の首都が、仔馬革の長靴の田舎を玄関の間に待たせたままにしたのだから。あるいは、書物から生まれた救済者たちが、土地の魂とともに勝利した革命は——救い手の声に解き放たれたその革命は——土地の魂とともに統治すべきであって、それに逆らってでもなく、それを欠いてでもない、ということを理解しなかったのだから。——アメリカは苦しみはじめ、いまも苦しんでいる。専制的でねじけた植民者から受け継いだ、不調和で敵対的な諸要素と、輸入された観念や形式とのあいだの、擦り合わせの疲れに。その輸入された観念と形式は、土地の現実を欠いているために、理にかなった統治を遅らせてきたのである。
El continente descoyuntado durante tres siglos por un mando que negaba el derecho del hombre al ejercicio de su razón, entró, desatendiendo o desoyendo a los ignorantes que lo habían ayudado a redimirse, en un gobierno que tenía por base la razón; la razón de todos en las cosas de todos, y no la razón universitaria de unos sobre la razón campestre de otros. El problema de la independencia no era el cambio de formas, sino el cambio de espíritu.
三世紀のあいだ、人が自らの理性を行使する権利を否定する支配によって関節をはずされてきた大陸は、自らを贖うのを助けてくれた無学な者たちを顧みず、あるいはその声に耳を貸さぬまま、理性を土台とする統治のなかへ入っていった。すなわち、万人のことがらにおける万人の理性であって、一部の者の大学の理性が他の者の野の理性の上に立つ、そういう理性ではない。独立の問題は、形式の変更ではなく、精神の変更だったのである。
Con los oprimidos había que hacer causa común, para afianzar el sistema opuesto a los intereses y hábitos de mando de los opresores. El tigre, espantado del fogonazo, vuelve de noche al lugar de la presa. Muere echando llamas por los ojos y con las zarpas al aire. No se le oye venir, sino que viene con zarpas de terciopelo. Cuando la presa despierta, tiene al tigre encima. La colonia continuó viviendo en la república; y nuestra América se está salvando de sus grandes yerros–de la soberbia de las ciudades capitales, del triunfo ciego de los campesinos desdeñados, de la importación excesiva de las ideas y fórmulas ajenas, del desdén inicuo e impolítico de la raza aborigen, –por la virtud superior, abonada con sangre necesaria, de la república que lucha contra la colonia. El tigre espera, detrás de cada árbol, acurrucado en cada esquina. Morirá, con las zarpas al aire, echando llamas por los ojos.
抑圧された者たちとこそ、共通の大義をなすべきであった。抑圧する者たちの利害と支配の習慣とに対立する体制を、そうして固めるために。虎は、銃火の閃光におびえても、夜になれば獲物のいた場所へ戻ってくる。目から炎を噴き、爪を宙にかざして死ぬ。来るのは聞こえない。ビロードの爪で来るのだから。獲物が目を覚ますときには、虎はもう上に乗っている。植民地は共和国のなかで生き続けた。そしてわれらのアメリカは、その大きな誤り——首都の高慢、蔑まれた農民たちの盲目の勝利、他所の観念と定型の過剰な輸入、先住の人種に対する不正で、政治的にも拙い蔑み——から、いま救われつつある。植民地と戦う共和国の、必要な血で肥やされた、より高い徳によって。虎は待っている。どの木の陰にも、どの街角にもうずくまって。虎は死ぬだろう、爪を宙にかざし、目から炎を噴きながら。
Pero "estos países se salvarán", como anunció Rivadavia el argentino, el que pecó de finura en tiempos crudos: al machete no le va vaina de seda, ni en el país que se ganó con lanzón, se puede echar el lanzón atrás, porque se enoja y se pone en la puerta del Congreso de Iturbide "a que le hagan emperador al rubio". Estos países se salvarán porque, con el genio de la moderación que parece imperar, por la armonía serena de la Naturaleza, en el continente de la luz, y por el influjo de la lectura crítica que ha sucedido en Europa a la lectura de tanteo y falansterio en que se empapó la generación anterior, le está naciendo a América, en estos tiempos reales, el hombre real.
けれども「これらの国々は救われるだろう」——アルゼンチンのリバダビアがそう告げたとおりに。荒い時代に洗練が過ぎるという罪を犯した、あのリバダビアが。鉈には絹の鞘は合わない。大槍で勝ち取った国では、その大槍を後ろへ放り出すこともできない。放り出せば槍は腹を立て、イトゥルビデの議会の扉口に立って、「あの金髪の男を皇帝にしろ」とせがむのだから。これらの国々は救われるだろう。なぜなら、光の大陸では、自然の静かな調和のゆえに、節度の精神が支配しているように見え、また、前の世代がそこに浸りきっていた手探りとファランステールの読書に代わってヨーロッパに生じた、批評的な読書の影響もあって、この現実の時代に、アメリカには現実の人間が生まれつつあるからだ。
Éramos una visión, con el pecho de atleta, las manos de petimetre y la frente de niño. Éramos una máscara, con los calzones de Inglaterra, el chaleco parisiense, el chaquetón de Norteamérica y la montera de España. El indio, mudo, nos daba vueltas alrededor, y se iba al monte, a la cumbre del monte, a bautizar sus hijos. El negro, oteado, cantaba en la noche la música de su corazón, solo y desconocido, entre las olas y las fieras. El campesino, el creador, se revolvía, ciego de indignación, contra la ciudad desdeñosa, contra su criatura. Éramos charreteras y togas, en países que venían al mundo con la alpargata en los pies y la vincha en la cabeza. El genio hubiera estado en hermanar, con la caridad del corazón y con el atrevimiento de los fundadores, la vincha y la toga, en desestancar al indio; en ir haciendo lado al negro suficiente; en ajustar la libertad al cuerpo de los que se alzaron y vencieron por ella. Nos quedó el oidor, y el general, y el letrado, y el prebendado. La juventud angélica, como de los brazos de un pulpo, echaba al Cielo, para caer con gloria estéril, la cabeza, coronada de nubes. El pueblo natural, con el empuje del instinto, arrollaba, ciego del triunfo, los bastones de oro. Ni el libro europeo, ni el libro yanqui, daban la clave del enigma hispanoamericano.
われわれは一つの幻影だった。闘技者の胸と、伊達男の手と、子どもの額とを持つ幻影。われわれは一つの仮装だった。イングランドの半ズボン、パリのチョッキ、北アメリカの上着、スペインのモンテーラ帽をまとった仮装。インディオは、黙したまま、われわれのまわりをぐるぐる回り、それから山へ、山の頂へ去って、そこで自分の子らに洗礼を授けた。黒人は、上からうかがわれながら、夜のなかで自分の心の音楽を歌った——ひとり、誰にも知られず、波と野の獣たちのあいだで。農民は、創り出す者であるあの農民は、憤りに目もくらんで、蔑む都市に、つまり自分の生んだ被造物に、身をよじって刃向かった。われわれは肩章と法服だった。足にアルパルガータを履き、頭にビンチャを巻いて世に生まれてきた国々にあって。天才の仕事があったとすれば、それは、心の慈しみと建国者たちの大胆さとをもって、ビンチャと法服とを兄弟にすることのうちに、インディオを堰き止めから解き放つことのうちに、黒人に十分な場所を空けていくことのうちに、自由のために立ち上がりそれを勝ち取った者たちの体に自由を合わせて仕立てることのうちに、あったはずだ。われわれに残ったのは、聴訴官と、将軍と、法学士と、聖職禄取りだった。天使のような青年たちは、蛸の腕から放たれるように、雲を冠にした頭を天へ投げ上げ、不毛な栄光とともに落ちてくるのだった。自然の民は、本能の勢いのままに、勝利に目がくらんで、金の杖を薙ぎ倒していった。ヨーロッパの書物も、ヤンキーの書物も、イスパノアメリカの謎を解く鍵を与えてはくれなかった。
Se probó el odio, y los países venían cada año a menos. Cansados del odio inútil, de la resistencia del libro contra la lanza, de la razón contra el cirial, de la ciudad contra el campo, del imperio imposible de las castas urbanas divididas sobre la nación natural, tempestuosa o inerte, se empieza, como sin saberlo, a probar el amor. Se ponen en pie los pueblos, y se saludan. "¿Cómo somos?" se preguntan; y unos a otros se van diciendo cómo son. Cuando aparece en Cojímar un problema, no van a buscar la solución a Dantzig. Las levitas son todavía de Francia, pero el pensamiento empieza a ser de América. Los jóvenes de América se ponen la camisa al codo, hunden las manos en la masa, y la levantan con la levadura de su sudor. Entienden que se imita demasiado, y que la salvación está en crear. Crear es la palabra de pase de esta generación. El vino, de plátano; y si sale agrio, ¡es nuestro vino! Se entiende que las formas de gobierno de un país han de acomodarse a sus elementos naturales; que las ideas absolutas, para no caer por un yerro de forma, han de ponerse en formas relativas; que la libertad, para ser viable, tiene que ser sincera y plena; que si la república no abre los brazos a todos y adelanta con todos, muere la república.
憎しみが試された。そして国々は年ごとに衰えていった。役に立たない憎しみに、槍に張り合う書物に、燭台に張り合う理性に、田舎に張り合う都市に、自然のままの国民——荒れ狂うか、さもなくば動かぬその国民——の上に立とうとする、分裂した都市のカスタたちのありえない支配に、疲れ果てて、それと知らずにいるかのようにして、愛が試されはじめる。もろもろの民が立ち上がり、たがいに挨拶を交わす。「われわれはどのようなものか」と彼らは問う。そしてたがいに、自分たちがどのようなものかを語りはじめる。コヒーマルで一つの問題が現れたとき、その解決をダンツィヒまで探しに行きはしない。フロックコートはまだフランスのものだ。だが思考はアメリカのものになりはじめている。アメリカの若者たちは、シャツを肘までまくり上げ、両手を練り粉に突っ込み、自分の汗という酵母でそれ〔練り粉〕をふくらませる。彼らは、模倣が多すぎること、救いは創ることのうちにあることを解している。創ること——これがこの世代の合言葉だ。酒は、バナナから。そして、酸っぱくできあがったとしても、それはわれらの酒だ! 次のことが解されている。一国の統治の形は、その国の自然のもろもろの要素に合わせて誂えられねばならぬこと。絶対的な観念は、形の誤りのせいで倒れてしまわぬために、相対的な形に置き直されねばならぬこと。自由は、生き延びうるものであるためには、偽りのない、満ちたものでなければならぬこと。そして、共和国が万人に腕を開かず、万人とともに前へ進まないなら、その共和国は死ぬということ。
El tigre de adentro se entra por la hendija, y el tigre de afuera. El general sujeta en la marcha la caballería al paso de los infantes. O si deja a la zaga a los infantes, le envuelve el enemigo la caballería. Estrategia es política. Los pueblos han de vivir criticándose, porque la crítica es la salud; pero con un solo pecho y una sola mente. ¡Bajarse hasta los infelices, y alzarlos en los brazos! ¡Con el fuego del corazón deshelar la América coagulada! ¡Echar, bullendo y rebotando, por las venas, la sangre natural del país! En pie, con los ojos alegres de los trabajadores, se saludan, de un pueblo a otro, los hombres nuevos americanos. Surgen los estadistas naturales del estudio directo de la naturaleza. Leen para aplicar, pero no para copiar. Los economistas estudian la dificultad en sus orígenes. Los oradores empiezan a ser sobrios. Los dramaturgos traen los caracteres nativos a la escena. Las academias discuten temas viables. La poesía se corta la melena zorrillesca y cuelga del árbol glorioso el chaleco colorado. La prosa, centelleante y cernida, va cargada de ideas. Los gobernadores, en las repúblicas de indios, aprenden indio.
内の虎は隙間から入ってくる。外の虎もそうだ。将軍は行軍において、騎兵を歩兵の歩調に縛りつける。あるいは歩兵を後ろに置き去りにすれば、敵は彼の騎兵を包囲する。戦略とは政治である。もろもろの民は、たがいを批判しながら生きねばならない。批判こそ健康だからだ。だが、ただ一つの胸と、ただ一つの精神とをもって。不幸な者たちのところまで身をかがめ、彼らを腕に抱き上げること! 心の火をもって、凝り固まったアメリカを解かすこと! 国の自然の血を、たぎらせ跳ねさせて、血管に送り出すこと! 立ったまま、働く者たちの晴れやかな目をして、アメリカの新しい人間たちは、一つの民からもう一つの民へと挨拶を交わす。自然を直に研究することから、生まれながらの政治家たちが現れてくる。彼らは適用するために読むのであって、写すために読むのではない。経済学者たちは困難をその起源において研究する。演説家たちは節度を持ちはじめる。劇作家たちは土地に生まれた人物たちを舞台に連れてくる。学士院はやりおおせる主題を論じる。詩は、ソリーリャ風のたてがみを切り落とし、栄光の樹に赤いチョッキを吊るす。散文は、火花を散らし、ふるいにかけられて、観念を積んで進む。インディオの共和国では、統治者たちがインディオの言葉を学ぶ。
De todos sus peligros se va salvando América. Sobre algunas repúblicas está durmiendo el pulpo. Otras, por la ley del equilibrio, se echan a pie a la mar, a recobrar, con prisa loca y sublime, los siglos perdidos. Otras, olvidando que Juárez paseaba en un coche de mulas, ponen coche de viento y de cochero a una pomba de jabón; el lujo venenoso, enemigo de la libertad, pudre al hombre liviano y abre la puerta al extranjero. Otras acendran, con el espíritu épico de la independencia amenazada, el carácter viril. Otras crían, en la guerra rapaz contra el vecino, la soldadesca que puede devorarlas. Pero otro peligro corre, acaso, nuestra América, que no le viene de sí, sino de la diferencia de orígenes, métodos e intereses entre los dos factores continentales, y es la hora próxima en que se le acerque, demandando relaciones íntimas, un pueblo emprendedor y pujante que la desconoce y la desdeña.
アメリカはそのすべての危険から、次々と身をかわしつつある。いくつかの共和国の上では、蛸が眠っている。ほかのいくつかは、均衡の法則によって、徒歩のまま海へ躍り出て、狂おしくも崇高な急ぎ足で、失われた幾世紀を取り戻そうとする。ほかのいくつかは、フアレスが騾馬の馬車で出歩いていたことを忘れ、風の馬車を仕立て、御者にはシャボン玉を据える。毒のある奢侈は、自由の敵であって、軽薄な人間を腐らせ、外国人に扉を開く。ほかのいくつかは、脅かされた独立の叙事詩的な精神によって、雄々しい性格を練り澄ましてゆく。ほかのいくつかは、隣国に対する強欲な戦争のなかで、やがて自分たちを食い尽くしかねない軍隊を育てている。だが、われらのアメリカは、おそらくもう一つの危険を冒している。それはアメリカ自身から来るのではなく、大陸の二つの因子のあいだの、起源と方法と利害の差異から来るものだ。すなわち、進取の気に富み力にあふれた一つの民が、われらのアメリカを知らず、しかも軽んじながら、親密な関係を求めて近づいてくる——その時が間近に迫っている、ということだ。
Y como los pueblos viriles, que se han hecho de sí propios, con la escopeta y la ley, aman, y sólo aman, a los pueblos viriles; como la hora del desenfreno y la ambición, de que acaso se libre, por el predominio de lo más puro de su sangre, la América del Norte, o en que pudieran lanzarla sus masas vengativas y sórdidas, la tradición de conquista, y el interés de un caudillo hábil, no está tan cercana aún a los ojos del más espantadizo, que no dé tiempo a la prueba de altivez, continua y discreta, con que se la pudiera encarar y desviarla; como su decoro de república pone a la América del Norte, ante los pueblos atentos del Universo, un freno que no le ha de quitar la provocación pueril o la arrogancia ostentosa, o la discordia parricida de nuestra América, el deber urgente de nuestra América es enseñarse como es, una en alma e intento, vencedora veloz de un pasado sofocante, manchada sólo con sangre de abono que arranca a las manos la pelea con las ruinas, y la de las venas que nos dejaron picadas nuestros dueños. El desdén del vecino formidable, que no la conoce, es el peligro mayor de nuestra América; y urge, porque el día de la visita está próximo, que el vecino la conozca, la conozca pronto, para que no la desdeñe. Por ignorancia llegaría, tal vez, a poner en ella la codicia. Por el respeto, luego que la conociese, sacaría de ella las manos.
そして、雄々しい民——散弾銃と法とによって、みずからの手でみずからを作り上げた民——は、雄々しい民を愛し、雄々しい民しか愛さないのだから。また、放縦と野心の時刻は——北のアメリカは、その血のもっとも純粋な部分が優勢であることによって、あるいはその時刻を免れるかもしれず、あるいは復讐心に満ちた卑しい大衆と、征服の伝統と、腕利きのカウディーリョの利害とが、そこへ北のアメリカを投げ込むこともありうるのだが——もっとも臆病な目にとってすら、まだそれほど近くには来ていない。近くには来ていないのだから、〔その時刻に〕立ち向かい、それを逸らすことのできるだけの、持続的で慎み深い気位の証しを立てるだけの時間はある。また、共和国としての体面は、宇宙の注意深い諸民族の前で、北のアメリカに一つの手綱をかけているのだから——そしてその手綱を、われらのアメリカの子どもじみた挑発や、これ見よがしの傲慢や、父殺しの内輪もめが、北のアメリカから取り去ってしまってはならないのだから——、われらのアメリカの緊急の務めは、おのれを在るがままに示すことである。すなわち、魂においても意図においても一つであり、息の詰まるような過去をすばやく打ち破った勝者であり、その身に付いた汚れといえば、廃墟との闘いが手から引きずり出す肥やしの血と、われらの主人たちが刺したまま残していった血管の血だけである、と。われらのアメリカを知らないこの恐るべき隣人の侮りこそ、われらのアメリカにとって最大の危険である。そして、訪いの日が近いのだから、隣人がわれらのアメリカを知ること、早く知ることが急がれる——侮らずにすむために。無知ゆえに、隣人はおそらく、われらのアメリカに強欲の手をかけるところまで行くだろう。敬意ゆえに、ひとたび知ったなら、そこから手を引くだろう。
Se ha de tener fe en lo mejor del hombre, y desconfiar de lo peor de él. Hay que dar ocasión a lo mejor para que se revele y prevalezca sobre lo peor. Si no, lo peor prevalece. Los pueblos han de tener una picota para quien les azuza a odios inútiles; y otra para quien no les dice a tiempo la verdad.
人間のうちの最善のものには信を置き、最悪のものは疑わなければならない。最善のものが姿を現し、最悪のものに打ち勝つよう、それに機会を与えねばならない。さもなければ、最悪のものが勝つ。諸民族は、無用な憎しみへと自分たちを煽り立てる者のために、晒し台を一つ持たねばならない。そして、しかるべき時に真実を告げない者のために、もう一つを。
No hay odio de razas, porque no hay razas. Los pensadores canijos, los pensadores de lámparas, enhebran y recalientan las razas de librería, que el viajero justo y el observador cordial buscan en vano en la justicia de la Naturaleza, donde resalta en el amor victorioso y el apetito turbulento, la identidad universal del hombre. El alma emana, igual y eterna, de los cuerpos diversos en forma y en color. Peca contra la Humanidad el que fomente y propague la oposición y el odio de las razas. Pero en el amasijo de los pueblos se condensan, en la cercanía de otros pueblos diversos, caracteres peculiares y activos, de ideas y de hábitos, de ensanche y adquisición, de vanidad y de avaricia, que del estado latente de preocupaciones nacionales pudieran, en un período de desorden interno o de precipitación del carácter acumulado del país, trocarse en amenaza grave para las tierras vecinas, aisladas y débiles, que el país fuerte declara perecederas e inferiores. Pensar es servir.
人種の憎しみなど無い。人種というものが無いからだ。ひ弱な思想家たち、ランプの思想家たちが、本屋の人種を糸に通しては温め直す。しかしそれは、公正な旅人も、心ある観察者も、自然の正しさのうちに探して見つけられないものだ。そこで際立つのはむしろ、勝ち誇る愛と荒れ狂う食欲のうちに現れる、人間の普遍的な同一性である。魂は、形においても色においても異なる身体から、等しく、また永遠に、流れ出る。人種の対立と憎しみを煽り、広める者は、人類に対して罪を犯している。しかし、諸民族の練り粉のなかでは、他の異なる民族と隣り合うことによって、独特で活発な性格が凝り固まる——観念と習慣の、拡張と獲得の、虚栄と貪欲の性格が。それらは、国民的偏見という潜在状態から、国内の無秩序の時期に、あるいはその国に蓄積された性格が一気に噴き出す時期に、隣り合う土地——孤立し、弱く、強い国がやがて滅びる劣ったものと宣告する土地——にとっての重大な脅威へと転じうるのだ。考えることは、仕えることである。
Ni ha de suponerse, por antipatía de aldea, una maldad ingénita y fatal al pueblo rubio del continente, porque no habla nuestro idioma, ni ve la casa como nosotros la vemos, ni se nos parece en sus lacras políticas, que son diferentes de las nuestras, ni tiene en mucho a los hombres biliosos y trigueños, ni mira caritativo, desde su eminencia aún mal segura, a los que, con menos favor de la Historia, suben a tramos heroicos la vía de las repúblicas: ni se han de esconder los datos patentes del problema que puede resolverse, para la paz de los siglos, con el estudio oportuno, y la unión tácita y urgente del alma continental. ¡Porque ya suena el himno unánime; la generación actual lleva a cuestas, por el camino abonado por los padres sublimes, la América trabajadora; del Bravo a Magallanes, sentado en el lomo del cóndor, regó el Gran Semí, por las naciones románticas del continente y por las islas dolorosas del mar, la semilla de la América nueva!
また、村の反感から、この大陸の金髪の民に、生まれつきの、逃れようのない悪意があると想定してはならない——彼らがわれわれの言語を話さないからといって、家をわれわれが見るようには見ないからといって、その政治の瑕において——それはわれわれの瑕とは別種のものだが——われわれに似ていないからといって、胆汁質で小麦色の肌をした男たちを高く買わないからといって、まだ足場の危うい自らの高みから、歴史の恩恵に恵まれることのより少ないまま、英雄的な段を一つずつ登って共和国の道を行く者たちを、慈しみ深い目で見ないからといって。かといってまた、問題の明白な諸事実を隠してもならない——時宜を得た研究と、大陸の魂の、言葉によらぬ、そして急を要する結合とによって、幾世紀の平和のために解決されうる、その問題の諸事実を。なぜなら、すでに満場一致の讃歌が鳴り響いているからだ。今の世代は、崇高な父祖たちが肥やした道を通って、働くアメリカを背に負っている。ブラボー川からマゼラン〔海峡〕まで、コンドルの背に坐して、大セミーが撒いたのだ——大陸のロマンティックな諸国民のあいだに、そして海の痛ましい島々に、新しいアメリカの種を!
受け継がれた点。まず「われらのアメリカ」という言い方そのものが残った。リオ・グランデ以南の諸国を、地理でも人種でもなく、共通の課題を負った一つの主体として呼ぶ呼び方である。もっともこの文章が古典として読まれるようになるのは20世紀に入ってからで、1891年の掲載時に大きな反響があったわけではない。1898年に合衆国がキューバの独立戦争に介入し、以後カリブと中米への介入を重ねてゆくなかで、終わり近くの北の隣国についての一節が、警告として読み直されていった。
「われらの共和国に世界を接ぎ木せよ。だが幹は……」という一句と、「アメリカの歴史は、インカからこのかたを、隅から隅まで教えられねばならない」という要求は、教育と文化の標語として繰り返し引かれてきた。輸入された制度が現地の条件と噛み合わないという見立ては、20世紀後半の従属理論や、近年の脱植民地の議論——知そのものが植民地的でありうる、という論点——が、それぞれのやり方で受け継いでいる。「人種というものが無い」という断定も、19世紀末が人種科学のもっとも勢いのあった時期であることを思えば、早い。分類としての人種に自然の根拠が無いというところまでは、今日の見方に近い。
否定され、修正された点。最も強く批判されてきたのは、そこから「だから人種の憎しみも無い」へ進む運びである。分類に自然の根拠が無いことと、その分類にもとづく支配が現に働いていることとは、別の事柄だからだ。実際キューバでは、「人種の無い国民」という理想が、黒人が自分たちの政党をつくることを「国民に人種を持ち込む行為」として封じる論拠に転用された。1910年に人種を名のる政党が法で禁じられ、1912年には「有色人独立党」の蜂起が軍によって鎮圧され、多数の黒人が殺されている。マルティの死後の出来事ではあるが、彼の言い方がその材料になったことは動かない。
語られる側の位置も問われてきた。本文のなかで、インディオは「黙したまま」まわりを回って山へ去り、黒人は「ひとり、誰にも知られず」夜に歌う。彼らのために書かれた文章ではあるが、彼らが語る文章ではない。20世紀の先住民運動やアフロ系の思想は、この代弁という構えそのものを問題にした。「雄々しい民は雄々しい民しか愛さない」という語彙、そして「ただ一つの胸と、ただ一つの精神をもって」批判し合えという要求も、同じ問いのなかにある。批判は健康だと言いながら、分裂は許さない。この緊張は解かれないまま本文に残っている。
もう一つ、制度の空白がある。本文の解決は「良き統治者」に託される——自分の国が何でできているかを知る者に。しかし本文自身が、蔑ろにされてきた自然の諸要素に適合することによってこそアメリカの暴君たちは権力へ登った、と書いている。同じ道が良き統治者と暴君の両方に通じていることを、マルティは見ている。見たうえで、その二つを分ける仕組みを示さない。20世紀のラテンアメリカで、この空白は人格的な支配の側からも使われた。「知ることは解くことである」は正しい。だが、知った者を誰が抑えるのか、という問いに、この文章は答えていない。
底本。Wikisource(es.wikisource.org/wiki/Nuestra_Am%C3%A9rica)から本文を機械的に取得し、そのまま採用しました。段落分割は底本に従います。