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変種が原型から無限に遠ざかる傾向について

On the Tendency of Varieties to Depart Indefinitely from the Original Type

初出
Journal of the Proceedings of the Linnean Society: Zoology 第3巻(1858年8月20日)53–62頁。1858年7月1日、リンネ協会で朗読
原語
英語
形式
全訳+要所対訳(原文全17段落を一節も飛ばさず訳出し、原文は校合で確定できた要所のみ対訳)
予備知識
高校生物の素養があれば十分。数学的な予備知識は要りません

まず、これは何の話なのか

1858年2月、マレー諸島テルナテ島。マラリアの高熱に伏していた三十五歳の標本採集家が、床の中で一気に書き上げた十数ページ。それがこの論文です。ウォレスは自分の生計のために鳥や昆虫の標本をヨーロッパへ送る日々のなかで、「種はどうやって生じるのか」という問いを温めていました。熱にうかされながら、彼はマルサスの人口論を思い出し、答えに行き当たる。書き上げた原稿を、彼は面識のあるチャールズ・ダーウィンに——助言を求めて——送りました。

これがイギリスに着いたとき、ダーウィンは凍りつきます。二十年間あたためてきた自分の「自然選択」の理論が、ほぼそっくりそのまま、他人の手で先に定式化されていたからです。ライエルとフッカーが取り計らって、1858年7月1日のリンネ協会で、ダーウィンの未公刊の草稿とウォレスのこの論文が同時に朗読されました。翌1859年に『種の起源』が出ます。進化生物学は、この二重発見の日から始まったと言ってよい。ただしその場に二人とも居合わせてはいませんでした——ダーウィンは息子の葬儀の最中、ウォレスは地球の裏側で、自分の論文が読まれたことをまだ知りません。

論文が倒そうとしている標的は、当時の常識でした。「飼育・栽培でできた変種は、放っておけば元の姿に戻る。だから種には変わらない本質があり、変種は一時的な逸脱にすぎない」。この種の不変性の論拠を、ウォレスはたった一つの観察でひっくり返します——野生の生と家畜の生は、根本的に違う。家畜は人間に守られているが、野生動物は絶えざる生存闘争のなかにいる。その違いを突き詰めると、変種は元へ戻るどころか、原型から限りなく遠ざかっていく。表題の「無限に遠ざかる」とは、そういう意味です。

読みどころは二つあります。一つは、彼が「自然選択」という語も「適者生存」という語もいっさい使わずに、その仕組みだけを裸で描いていること。もう一つは、終盤に出てくる蒸気機関の遠心調速機の比喩です。生物界の均衡が、外から設計されたのではなく、ずれると自動的に引き戻される自己調整によって保たれている——後にサイバネティクスの創始者たちが「最初のフィードバック思考」と呼ぶことになる一節が、ここにあります。

全訳

以下は原文全17段落の全訳です。一節も省いていません。原文の段落構成に沿って、読みの助けとなる小見出し(〔 〕でくくった編者補い)を加えました。校合で原文を確実に固められた要所は、次の「三 要所対訳」に原文と並べて再掲します。

〔一〕倒すべき通説——「変種は元へ戻る」

1. 種がもともと別個に、そして恒久的に区別されている(=それぞれ別々に創られた)ことの証拠として持ち出される最も強力な論拠の一つは、次のものである。すなわち、飼育・栽培のもとで生じた変種は多かれ少なかれ不安定であり、放っておけばしばしば親種の正常な形へ戻ろうとする傾向をもつ、と。そしてこの不安定さこそ、あらゆる変種——自然状態の野生動物に現れる変種すら——に共通する固有の特徴であり、もともと創られた別個の種を変化させずに保つための備えなのだ、と考えられている。

2. 野生動物のあいだに生じる変種についての事実や観察が乏しいために、この論拠は博物学者たちに大きな重みをもって受け止められ、種の不変性についての、一般的で、いくぶん偏った信念を育ててきた。しかし同じくらい広く信じられているものがある。いわゆる「恒久的な、あるいは真の変種」——たえず自分と同じものを産み続けるが、他のある系統とはごくわずかに(しかし恒常的に)異なるために、一方が他方の変種とみなされる、そうした動物の系統——の存在である。どちらが変種で、どちらが原型たる種なのかは、ふつう決めようがない。ただ、変わらずに留まっているほうを真の種とみなす、という程度のことしか言えない。

3. 注意すべきは、この論拠がまるごと一つの仮定の上に立っている点である——自然状態の変種は、飼育下の変種とちょうど同じようにふるまう、という仮定である。この仮定はしかし、証明されたことが一度もない。そればかりか、以下に示すように、事実にまったく反している。

〔二〕生存闘争と、個体数を抑える力

4. 野生動物の生は、生存をめぐる闘争である。おのれの存在を保ち、幼い子の存在を支えるために、あらゆる能力とあらゆる力を全開にすることが求められる。食物を手に入れられるかどうか、自分より弱いものを捕らえ、より強いものから逃れられるかどうかが、しばしば存在そのものの条件をなす。個体の数は、繁殖の速さではなく、得られる食物の量に依存する。というのも、どの動物も、放っておけば幾何級数的に増えるからである。

5. ある種の動物群のあいだに必ず成り立つ大まかな比率は、たやすく見てとれる。大きな動物は、小さな動物ほど多くはありえない。肉食獣は草食獣より少ないはずである。鷲やライオンが、鳩や羚羊ほどたくさんいることは決してありえない。そして繁殖の速さも、この比率をつくる要因にはならない。ごく少数の鳥だけが年に二羽未満しか産まないのに対し、多くは六羽、八羽、十羽を産む。四羽を平均以下とみなしてよいだろう。もしこれが妨げられずに増え続ければ、単純な計算で、十五年後には一つがいの鳥が一千万羽近くにまで増えることがわかる。ところが実際には、どの国でも鳥の数が十五年で、いや百五十年でさえ、少しでも増えていると信じる理由はない。つまり、生まれた個体のほとんどは、成熟する前に死んでいる。数を決めているのは、生む力ではなく、死を免れる力のほうなのである。

6. こうして次の二点が確立されたとしよう。第一に、ある国の動物の個体群はおおむね定常的であって、周期的な食物不足やその他の抑制によって低く抑えられていること。第二に、いくつもの種の個体の相対的な多寡が、もっぱらそれぞれの体制(からだの組み立て)と、そこから生じる習性に由来すること——すなわち、食物を安定して得ることや身を守ることが、ある種では他の種より難しく、その難しさの差が、一定の面積のなかで生きられる個体数の差となって現れる、ということ。この二点を認めるなら、次の段階へ進める。

〔三〕わずかな有利が、種を置きかえる

7. 典型的な形からの変異は、そのほとんど、いやおそらくすべてが、たとえわずかであっても、その動物の習性や能力に影響を及ぼす。ある変異は、食物を得たり敵から逃れたりする力をわずかに減じ、別の変異はそれをわずかに高める。そして、いま見たように生存がぎりぎりの綱渡りである以上、この小さな差は生死を分ける。

8. 逆に、もしある種が、生存を保つ力をわずかに高めた変種を産んだとすれば、その変種は必然的に、やがて数のうえで優位を得るにちがいない。同じ食物不足やその他の抑制が働いても、より多くが生き延びるからである。一方、力の劣った親型のほうは、同じ圧力のもとで数を減らし、極端な場合には絶えてしまう。

9. こうして、変種が種にとって代わったことになる。その変種こそ、より完全に発達し、より高度に組織された形なのである。すべての変種は、したがって二つの階級に分かれる。同じ条件のもとで親種の個体数に決して達しえないものと、やがて数のうえで優位を得てそれを保ち続けるものと、である。

〔四〕「無限に遠ざかる」——戻る定点はない

10. だが、この新しい、改良された、数の多い系統も、時とともにさらに変異するかもしれない。そのとき、いっそう優れた変種が同じ過程を経て、また元の形から遠ざかっていく。改良は一度きりで止まらない。歩みには、そこへ戻るべき定点というものがそもそも存在しない。だからこそ変種は、原型のまわりを揺れ動くのではなく、原型から限りなく離れていくことができる。表題が言う「無限に遠ざかる傾向」とは、この歯止めのなさのことである。

〔五〕家畜という反例を解体する

11. ここで家畜に目を転じ、そこで変種がどうふるまうかを問うてみよう。家畜は人間の保護のもとにある。食物は与えられ、敵からは守られ、生存闘争のきびしさから大きく免れている。

12. そうした動物に、たとえば力や敏捷さが増した変種が生じたとしよう。野生であればそれは数のうえで優位に立ったはずだが、家畜ではそうならない。生き残りを決めるのは自然の圧力ではなく、人間の都合だからである。人間が価値を認めた形質だけが増やされ、認めない形質は——たとえ生存に有利でも——顧みられない。

13. さらに、家畜においては、あらゆる変異が生き延びる平等な機会をもつ。野生なら淘汰されるはずの、生存に不利な変異ですら、人間の手で保護され、繁殖させられる。だから家畜の変種は不規則で人為的なものになり、しばしば親型のほうへ揺り戻る。この揺り戻しこそ、通説が「変種は元へ戻る」と言うときに念頭に置いていたものである。

14. したがって、家畜の変種が恒久的でない——元へ戻りやすい——という事実から、自然状態の変種について何かを推論することはできない。家畜は異常で、不規則で、人為的な存在であり、野生動物とは条件がまるで違う。両者を同一視して、一方の性質を他方に持ち込むことこそ、あの論拠の致命的な誤りだったのである。冒頭の通説は、ここで根拠を失う。

〔六〕ラマルクとの違い

15. ラマルクの仮説——種の漸進的変化は、動物が自分の器官の発達を増そうと努め、そうして構造や習性を変えることで生じた、という説——は、変種と種を論じたすべての著述家によって、くり返し、そして容易に反駁されてきた。キリンは首を伸ばしたいと願ったから長い首を得たのではない。ここで唱えている原理は、それとはまったく別物である。動物が努力して自分を変えるのではない。変異はひとりでに生じ、そのうち生存に有利なものだけが、闘争を通じて後から選び取られる。欲求が形をつくるのではなく、生死のふるいが形を残すのである。

〔七〕結論——自己調整する自然

16. 私たちはいまや、次のことを示しえたと信じる。すなわち、自然には、ある種の変種を原型からますます遠くへ引き離し続けようとする傾向があり、その歩みに明確な限界を定める理由は見当たらないこと。そして、自然状態でこの結果を生むのと同じ原理が、なぜ家畜の変種は原型へ戻ろうとする傾向をもつのかをも説明すること、である。この原理の働きは、蒸気機関の遠心調速機とちょうど同じである。それは、あらゆる不規則が目立つようになる前に、ほとんど瞬時にそれを抑え、正してしまう。生物界の均衡は、外から与えられた設計ではなく、ずれれば自動的に引き戻されるこの仕組みによって保たれている。

17. この歩みは、微小な段階を重ねて、さまざまな方向へ進む。しかしつねに、それなしには存在が保たれえない必要条件によって、抑えられ、釣り合わされている。この歩みをたどっていけば、生物界が示すあらゆる現象——過去の時代における絶滅と交替、そして生物が示す形態・本能・習性のあらゆる並外れた変容——と一致させることができる、と私たちは信じる。

末尾に記された場所と日付

テルナテ、1858年2月。——マレー諸島の小さな火山島の地名が、進化論の出発点の一つに刻まれています。ウォレスがこれを書いたのは、標本採集の合間、間欠熱の発作のさなかでした。

要所対訳——原文で読む勘所

以下は、公開されている翻刻と段落単位で照合し、原文を確実に固められた要所です。左が原文(1858年初出)、右が訳。ウォレスの英語は平明で、力点の置き方がそのまま論の骨格になっています。

原文(1858年)
現代日本語訳

One of the strongest arguments which have been adduced to prove the original and permanent distinctness of species is, that varieties produced in a state of domesticity are more or less unstable, and often have a tendency, if left to themselves, to return to the normal form of the parent species; and this instability is considered to be a distinctive peculiarity of all varieties, even of those occurring among wild animals in a state of nature, and to constitute a provision for preserving unchanged the originally created distinct species.

種がもともと別個に、恒久的に区別されていることの証拠として持ち出される最も強力な論拠の一つは、こうである。飼育・栽培のもとで生じた変種は多かれ少なかれ不安定であり、放っておけばしばしば親種の正常な形へ戻ろうとする傾向をもつ。そしてこの不安定さこそ、あらゆる変種——自然状態の野生動物に現れる変種すら——に共通する固有の特徴であり、もともと創られた別個の種を変化させずに保つための備えだ、と考えられている。

読みどころこれから倒す標的の宣言。「変種は元へ戻る=種は不変」という当時の常識を、まず正確に立ててみせる。以下すべてはこの一文への反論です。

The life of wild animals is a struggle for existence. The full exertion of all their faculties and all their energies is required to preserve their own existence and provide for that of their infant offspring.

野生動物の生は、生存をめぐる闘争である。おのれの存在を保ち、幼い子の存在を支えるために、あらゆる能力とあらゆる力を全開にすることが求められる。

読みどころ論全体の蝶番。「生存闘争」の一語がここで前面に出ます。家畜と野生を分けるのは、まさにこの闘争の有無です。

The general proportion that must obtain between certain groups of animals is readily seen. Large animals cannot be so abundant as small ones; the carnivora must be less numerous than the herbivora; eagles and lions can never be so plentiful as pigeons and antelopes.

ある種の動物群のあいだに必ず成り立つ大まかな比率は、たやすく見てとれる。大きな動物は、小さな動物ほど多くはありえない。肉食獣は草食獣より少ないはずである。鷲やライオンが、鳩や羚羊ほどたくさんいることは、決してありえない。

読みどころ個体数は「食物の量」で決まる、という生態学的な直観。繁殖力ではなく資源が上限を決める——マルサスの人口論を動物に適用した箇所です。

Very few birds produce less than two young ones each year, while many have six, eight, or ten … A simple calculation will show that in fifteen years each pair of birds would have increased to nearly ten millions! whereas we have no reason to believe that the number of the birds of any country increases at all in fifteen or in one hundred and fifty years.

年に二羽未満しか産まない鳥はごく少なく、多くは六羽、八羽、十羽を産む……単純な計算をすれば、十五年で一つがいの鳥は一千万羽近くにまで増えることがわかる! ところが実際には、どの国でも鳥の数が十五年で、いや百五十年でさえ、少しでも増えていると信じる理由はない。

読みどころ爆発的な繁殖力と、微動だにしない実際の個体数。この落差の分だけ、毎年おびただしい数が死んでいる。淘汰の圧力の大きさを数字で見せる一撃です。

If, on the other hand, any species should produce a variety having slightly increased powers of preserving existence, that variety must inevitably in time acquire a superiority in numbers.

逆に、もしある種が、生存を保つ力をわずかに高めた変種を産んだとすれば、その変種は必然的に、やがて数のうえで優位を得るにちがいない。

読みどころ自然選択の核心を、たった一文で。「わずかに高めた(slightly increased)」「必然的に(inevitably)」——小さな差が、時間をかけて不可避の結果になる、という論理そのものです。

The variety would now have replaced the species, of which it would be a more perfectly developed and more highly organized form. … All varieties will therefore fall into two classes—those which under the same conditions would never reach the population of the parent species, and those which would in time obtain and keep a numerical superiority.

こうして変種が種にとって代わったことになる。その変種こそ、より完全に発達し、より高度に組織された形なのである。……すべての変種は、したがって二つの階級に分かれる。同じ条件のもとで親種の個体数に決して達しえないものと、やがて数のうえで優位を得てそれを保ち続けるものと、である。

読みどころ選別の帰結。変種は「消える側」と「置きかえる側」に二分される。ダーウィンの言う natural selection を、ウォレスは個体ではなく変種・系統の水準で語っています(訳注3)。

The hypothesis of Lamarck—that progressive changes in species have been produced by the attempts of animals to increase the development of their own organs, and thus modify their structure and habits—has been repeatedly and easily refuted by all writers on the subject of varieties and species …

ラマルクの仮説——種の漸進的変化は、動物が自分の器官の発達を増そうと努め、そうして構造や習性を変えることで生じた、という説——は、変種と種を論じたすべての著述家によって、くり返し、そして容易に反駁されてきた……

読みどころ誤解を先回りして断ち切る。「努力で形が変わる」のではない。変異は先に、選別は後。欲求ではなく死のふるいが形を残す——ここがラマルクとの決定的な分岐点です。

We believe we have now shown that there is a tendency in nature to the continued progression of certain classes of varieties further and further from the original type—a progression to which there appears no reason to assign any definite limits …

私たちはいまや、次のことを示しえたと信じる。自然には、ある種の変種を原型からますます遠くへ引き離し続けようとする傾向があり、その歩みに明確な限界を定める理由は見当たらない……

読みどころ表題の回収。「further and further」「no definite limits」——変種は原型のまわりで揺れるのではなく、際限なく離れていける。種の固定性の否定が、ここで完成します。

The action of this principle is exactly like that of the centrifugal governor of the steam engine, which checks and corrects any irregularities almost before they become evident.

この原理の働きは、蒸気機関の遠心調速機とちょうど同じである。それは、あらゆる不規則が目立つようになる前に、ほとんど瞬時にそれを抑え、正してしまう。

読みどころこの論文で最も有名な一文。自然を「自己調整する機械」になぞらえる。設計者のいないフィードバック制御——一世紀後にサイバネティクスが再発見する発想が、ここに先取りされています(訳注5)。

This progression, by minute steps, in various directions, but always checked and balanced by the necessary conditions, subject to which alone existence can be preserved, may, it is believed, be followed out so as to agree with all the phenomena presented by organized beings, their extinction and succession in past ages, and all the extraordinary modifications of form, instinct, and habits which they exhibit.

この歩みは、微小な段階を重ねて、さまざまな方向へ進むが、つねに、それなしには存在が保たれえない必要条件によって、抑えられ、釣り合わされている。これをたどっていけば、生物界が示すあらゆる現象——過去の時代における絶滅と交替、そして生物が示す形態・本能・習性のあらゆる並外れた変容——と一致させることができる、と信じられる。

読みどころ最後の一文。「微小な段階(minute steps)」の積み重ねが、絶滅も、多様な形態も、本能さえも説明する。ダーウィン=ウォレスの理論の射程を、一文で宣言して閉じます。

訳注

  1. この論文がダーウィンのもとへ届いた経緯こそ、科学史上もっとも有名な「二重発見」である。ウォレスは1858年2月、テルナテ島で高熱に伏しながら本稿を書き、助言を求めてダーウィンに送った。受け取ったダーウィンは、自分が二十年温めてきた理論の先を越されたと悟り、ライエルとフッカーに相談する。二人の計らいで、1858年7月1日のリンネ協会で、ダーウィンの1844年草稿の抜粋・1857年のグレイ宛書簡と、ウォレスの本稿とが同時に朗読された(総題「種が変種を形成する傾向について」)。当のウォレスは地球の裏側にいて、朗読も、自分がダーウィンと並べて公表されたことも、後から知った。彼はこの扱いに終生不満を述べず、むしろ自ら理論を「ダーウィニズム」と呼んだ。
  2. struggle for existence(生存闘争)という語はウォレスの発明ではない。マルサス『人口論』(1798)の人口圧の議論、ド・カンドルやライエルの用法が先行する。ウォレスとダーウィンの新しさは、この語を変異の選別装置として使った点にある。闘争それ自体ではなく、闘争が「わずかな差」をふるい分けることに意味を見た。なお訳語の「闘争」は争い合う含みが強いが、原語は飢餓・天候・捕食など環境からの圧力全般を指し、必ずしも同種間の直接の争いに限らない。
  3. この論文には natural selection(自然選択)という語も survival of the fittest(適者生存)という語も一度も現れない。前者はダーウィンの造語、後者はスペンサーの語(ウォレスは後年こちらを好んだ)。ウォレスはここで、仕組みだけを名前なしで描いている。さらに注目すべきは、彼が選別を個体ではなく変種・系統の水準で語っていることである(「変種は二つの階級に分かれる」)。ダーウィンが個体差の累積を軸に据えたのに対し、ウォレスの叙述はやや集団遺伝学的な色合いをもつ。この力点の違いは、後年「ダーウィンとウォレスは本当に同じことを考えていたのか」という論争の火種になった。
  4. ラマルク(1744–1829)の説は「獲得形質の遺伝」——生きているあいだに使い込んで発達させた(あるいは使わずに退化させた)形質が子へ伝わる、という考え——として知られる。ウォレスがここで強調するのは、自分たちの原理がそれとは逆向きだという点である。ラマルクでは動物の努力・欲求が先にあって形を変えるが、自然選択では変異が先にあり、選別は後から働く。ただし当時は遺伝の仕組み(メンデル、のちのDNA)が未知で、ダーウィン自身は晩年、獲得形質の遺伝を部分的に認める方向へ傾いた。ラマルク説が実験的に否定されるのは20世紀を待つ。
  5. 遠心調速機(centrifugal governor)は、蒸気機関の回転が速すぎれば蒸気を絞り、遅すぎれば開いて、回転を一定に保つ自動制御装置(ワットの遠心ガバナー)。ウォレスはこれを、種の個体数と適応が「ずれると自動的に引き戻される」さまの比喩に使った。設計者も目的もない自己調整という着想である。人類学者グレゴリー・ベイトソンは1970年代、この一節を進化思想におけるフィードバック(負のフィードバック)概念の最初の明確な表明として高く評価し、サイバネティクスの前史に位置づけた。一標本採集家の比喩が、一世紀後に制御理論と響き合ったことになる。

読み終えたあとに

この論文が朗読された翌1859年、ダーウィンは急いで『種の起源』を書き上げます。二重発見の圧力がなければ、あの大著はさらに何年も遅れたか、あるいは違う形になっていたかもしれません。その意味でウォレスのテルナテ論文は、内容の先取りとしてだけでなく、進化論の公表を早めた触媒としても効いています。

受け継がれた点は明快です。「変異は無方向に生じ、生存闘争がそれをふるい分け、有利なものが数を増やして原型から遠ざかる」という骨格は、そのまま現代進化生物学の中核として生き残りました。遠心調速機の比喩に込められた「設計者なき自己調整」という見方も、生態系や恒常性の理解へ深く根を下ろしています。

一方で、修正・否定された点もあります。ウォレスはここで選別を変種・系統の水準で語りましたが、後の総合説は、個体の遺伝的変異と集団の遺伝子頻度の変化として理論を精密化しました(訳注3)。遺伝の仕組みが空白だったこの段階では、変異がどう伝わり蓄積するのかは説明できていません。それを埋めたのはメンデルの再発見(1900)と集団遺伝学です。

そしてウォレス自身の後年の歩みは、ダーウィンと袂を分かちます。彼は晩年、人間の高度な知性や道徳性だけは自然選択では説明できないと考えるようになり、そこに超自然的な作用を認める立場(心霊主義)へ傾きました。生存に不要なはずの数学的能力や芸術性が、なぜ狩猟採集民に備わっているのか——この「ウォレスの難問」は、当のダーウィンを困惑させました。皮肉なことに、自然選択をもっとも純粋な形で定式化した人物が、その適用範囲にもっとも強い留保をつけたのです。今日では、これらの能力も性選択・文化進化・脳の副産物などとして自然主義的に説明が試みられていますが、議論はなお続いています。

二人の距離

ウォレスは生涯、自分をダーウィンの下に置き続けました。主著の一冊にはずばり『ダーウィニズム』(1889)と題しています。しかし近年は、独立に、しかも先に核心へ到達した彼の功績を、正当に測り直そうとする動きが強まっています。同じ山の頂に、別の斜面から、ほぼ同時に二人がたどり着いた——科学史がこれほど劇的な同時性を見せた例は多くありません。

原文と訳について/出典

本文の英語は、下記の公開転写と段落単位で照合しながら扱いました。本稿は【全訳+要所対訳】の形式をとっています。すなわち、原文全17段落の内容を一節も飛ばさず日本語に訳出し(第二節「全訳」)、そのうえで、翻刻と照合して原文を確実に固められた要所のみ、原文と訳を並べて再掲しました(第三節「要所対訳」)。「全訳」中の〔 〕でくくった小見出しは、1858年の初出には存在せず、読みの助けとして訳者が補ったものです(1870年の単行本版では類似の傍題が著者自身によって加えられました)。段落番号も便宜的なものです。variety は「変種」、struggle for existence は「生存闘争」、organization は「体制/からだの組み立て」と訳し分けています。ウォレスがまだ natural selection の語をもたない時期の論文であり、術語の素朴さそのものが読みどころでもあります。

次に読むなら:ダーウィン『種の起源』(1859) 第三章「生存闘争」・第四章「自然選択」(本稿の骨格が、膨大な観察とともに展開される)/マルサス『人口論』(1798)(ウォレスとダーウィンが同じくひらめきの源にした、幾何級数的増加と抑制の議論)/グレゴリー・ベイトソン「サイバネティクスにおける説明」(『精神の生態学』所収)(遠心調速機の比喩を、フィードバック思想の先駆として読み直す)。