毎朝5時、分野も言語も時代も問わず、一本の論文を原文と現代日本語訳の対訳で。数学・物理の日は、必要な予備知識をゼロから組み立てたうえでお届けします。
扱うのはパブリックドメインまたはオープンアクセスの論考のみ。原文は公開されている翻刻から機械的に取得し、校訂上の問題があれば訳注に記します。
齊物論
荘周 莊周(前369頃–前286頃)
儒家と墨家が是非を争っていた戦国の世に、そのどちらにも味方せず、争いが成り立つ足場のほうを外していった文章。脇息にもたれた男の「吾、我を喪う」から始まり、猿と木の実、王倪の問答を経て、影と胡蝶で終わる。是と非、夢と覚め、私と物——境目を引くことそれ自体を扱った、内篇第二の全13段。
Meditatio Prima: De iis quae in dubium revocari possunt
ルネ・デカルト(1596–1650)/1641年
近代哲学の始点として最もよく引かれる四十枚。感覚→夢→神→悪しき霊、と疑いを最上流まで遡らせるあの手続きが、なぜそこまで用意周到に組まれているのか。デカルトは「感覚は常に欺く」とは書いていません、「時に欺く」だけです。それだけで感覚由来の知識全体に留保を入れる、あの慎慮の原則の切れ味。そして今日はしばしば「悪魔」と訳される genius malignus は、diabolus という語を用いていない——神学の枠は動かさず、代役だけを差し替える手つきです。全12段の完全対訳。鍵語の分岐を用語表と17点の訳注で解きます。
Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?
イマヌエル・カント(1724–1804)/1784年
「啓蒙とは、人間がみずから招いた未成年状態から抜け出ることである」——哲学史上もっとも引かれる一文で始まる四ページ。Sapere aude(あえて知ろうとせよ)を近代の合言葉にした論文ですが、本当の切れ味は後半にあります。制服を着て命令に従う理性が「私的」で、一人の学者として万人に書く理性が「公的」——この直感に反する反転から、「議論せよ、ただし従え」という自由と服従の両立が導かれる。フリードリヒ大王の啓蒙専制を念頭に置いた、際どく油断のならない一本を全文対訳で。
Die Großstädte und das Geistesleben
ゲオルク・ジンメル(1858–1918)/1903年
都市博覧会に添えられた連続講演の一篇。街路を横断するときの刺激の速さから出発して、知性、貨幣、時計、倦怠、他人へのよそよそしさ、自由、分業、そして個人の手に負えなくなった文化まで、一本の線でつないでしまいます。地下鉄で目を合わせないことと、変わった服を着たくなることが同じ根から生えている——そう言われて反論できる人はあまりいないはずです。都市社会学はここから始まりました。
On the Tendency of Varieties to Depart Indefinitely from the Original Type
アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823–1913)/1858年
ダーウィンを凍りつかせた十数ページ。マレー諸島の島で高熱に伏しながら、一標本採集家が自然選択をほぼそっくり先に定式化してしまった。「自然選択」という語も使わず、種が原型から限りなく遠ざかる仕組みだけを裸で描く。終盤、進化の均衡を蒸気機関の遠心調速機になぞらえた一節は、一世紀後にサイバネティクスが再発見することになります。
Sur les radiations invisibles émises par les corps phosphorescents
アンリ・ベクレル(1852–1908)/1896年
放射能が発見された二頁半。ただし書いた本人はまだ気づいていない——「燐光がX線を生む」という仮説を試すうち、曇り空の偶然から、日光がなくても暗闇でウラン塩が放射を出し続けることに行き当たる。探していたものは外れ、探していなかったものが見つかった記録です。
Meditationes de cognitione, veritate et ideis
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646–1716)/1684年
デカルトは「明晰かつ判明に知覚するものは真である」と言ったが、何が明晰で何が判明かの規準は与えなかった。ライプニッツはその空白に六段の目盛りを入れ、ついでに存在論的証明の抜けた一段を指摘する。記号だけを動かす「盲目的思考」が肯定的に定式化された最初の場所でもあります。
What is an Emotion?
ウィリアム・ジェームズ(1842–1910)/1884年
悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ。情動と身体の因果の順序をそっくり反転させ、心理学と心の哲学の土俵を作り変えた記念碑的論文。キャノンに細部を覆されながら、百四十年後もなお議論の出発点であり続けている。
Über eine elementare Frage der Mannigfaltigkeitslehre
ゲオルク・カントール(1845–1918)/1891年
対角線論法が初めて世に出た4ページ。「どんな名簿を持ってきても、そこに載っていないものを作れる」というこの一手が、ゲーデルとチューリングまで届きます。予備知識は不要——必要な数学は本文中でゼロから組み立てました。
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